誠にありがたいこってございまして、一生懸命おしゃべりをいたします。早いもんで今日が六日目でございます。今日だけお越しいただいた方もあるわけでございますが、六日間ずっとお越しいただいた方もあるわけでございます。−−ご隠居さんが亡くなり、町内の者が手伝い。二人が受付をしていると、次々に悔やみにくる。炭屋は商売物の宣伝になるし、また、最上屋のおなごしさんは馬鹿丁寧。手伝いの又はん。悔やみが女房ののろけに変わり、二人は唖然。あげく「今時分、内のかか、家でようじっとしとらんと思いまんねん。ちょっともはよ顔見せて、安心させたりま。さいなら、ごめん」「え〜、なんとも、えげつのないのろけやな」−−おなじみの「くやみ」というばかばかしい・・
マクラは独演会での心情、挨拶、特にお悔やみについて。マクラは相変わらず、素晴らしくおもしろい。本編ではくやみの失敗を過度に膨らませて、それを受ける人たちの登場が少なく、バランスを崩していて、いつもの爆笑に今一歩及ばなかったように感じた。大好きな噺家なのであえて分析してみているが、並の噺家のレベルではないので誤解なきよう。
2009年10月27日
2009年10月26日
寝床(桂枝雀2)
続いて聞いていただくわけでございますが、もう、ほとんどブームというより、定着いたしましたのが、カラオケというやつでございますが、皆様もそれぞれにお歌いになるのやないかと思いますね。−−下手な浄瑠璃を人に語って聞かせることが趣味の旦那、今日も浄瑠璃の会を計画するが、長屋の者も奉公人も、理由をつけて誰一人来ない。怒った旦那は、店立て、暇を出すと無茶を言い始める。気の利く奉公人が、皆を集めて、会が開催される。渋々、集まった人たちは旦那の浄瑠璃のひどさを話しながら待つ。昔、旦那の浄瑠璃を聞いて倒れて他界した玉子屋さんの話になる。「半年ほどして死んでしまいましたな。あんまり不思議なちゅうんで、大学の病院で解剖してもらいましたら、玉子屋さんの胸から、こんな大きな浄瑠璃の塊が出てまいりました」−−おなじみの寝床浄瑠璃でございます。
マクラはカラオケ、浄瑠璃について。相変わらず旦那が憎めない可愛らしいキャラクターなのはいい。しかし、久七の旦那との会話が、煮詰まってない感じ。皆が嫌っていることを台詞に含んでいるのだが不自然で、思ったほど笑いが出ていない。しかし、おもしろいことには間違いない。クスグリを発展させ爆笑を誘っている。そのため、本来の筋が弱くなっているのが相変わらず残念。
マクラはカラオケ、浄瑠璃について。相変わらず旦那が憎めない可愛らしいキャラクターなのはいい。しかし、久七の旦那との会話が、煮詰まってない感じ。皆が嫌っていることを台詞に含んでいるのだが不自然で、思ったほど笑いが出ていない。しかし、おもしろいことには間違いない。クスグリを発展させ爆笑を誘っている。そのため、本来の筋が弱くなっているのが相変わらず残念。
寝床(桂枝雀2)
続いて聞いていただくわけでございますが、もう、ほとんどブームというより、定着いたしましたのが、カラオケというやつでございますが、皆様もそれぞれにお歌いになるのやないかと思いますね。−−下手な浄瑠璃を人に語って聞かせることが趣味の旦那、今日も浄瑠璃の会を計画するが、長屋の者も奉公人も、理由をつけて誰一人来ない。怒った旦那は、店立て、暇を出すと無茶を言い始める。気の利く奉公人が、皆を集めて、会が開催される。渋々、集まった人たちは旦那の浄瑠璃のひどさを話しながら待つ。昔、旦那の浄瑠璃を聞いて倒れて他界した玉子屋さんの話になる。「半年ほどして死んでしまいましたな。あんまり不思議なちゅうんで、大学の病院で解剖してもらいましたら、玉子屋さんの胸から、こんな大きな浄瑠璃の塊が出てまいりました」−−おなじみの寝床浄瑠璃でございます。
マクラはカラオケ、浄瑠璃について。相変わらず旦那が憎めない可愛らしいキャラクターなのはいい。しかし、久七の旦那との会話が、煮詰まってない感じ。皆が嫌っていることを台詞に含んでいるのだが不自然で、思ったほど笑いが出ていない。しかし、おもしろいことには間違いない。クスグリを発展させ爆笑を誘っている。そのため、本来の筋が弱くなっているのが相変わらず残念。
マクラはカラオケ、浄瑠璃について。相変わらず旦那が憎めない可愛らしいキャラクターなのはいい。しかし、久七の旦那との会話が、煮詰まってない感じ。皆が嫌っていることを台詞に含んでいるのだが不自然で、思ったほど笑いが出ていない。しかし、おもしろいことには間違いない。クスグリを発展させ爆笑を誘っている。そのため、本来の筋が弱くなっているのが相変わらず残念。
2009年10月25日
ケニア・レッド・マウンテン(シティ)
自家焙煎:豆は標準的。甘い酸味とまろやかな苦味。ミディアムボディで飲みやすい。若干、角がある。
恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ(米1989)
兄弟ピアノデュオのファビュラス・ベイカー・ボーイズ。ドサさ周りで、ホテルの客の少ないラウンジで毎日同じことの繰り返し。兄が必死に仕事をとってくる。女性ボーカルを加えることにして、人気が出る前半。それぞれの生き様を深く描いた後半は、苦しい人生のすきでもない仕事の抑圧から、飛び出していく。しかし、前途がどうなるのかはわからない。おしまい。デイブ・フルーシンの音楽はスタンダードの名曲をちりばめながらソフィスケイトされたアレンジで都会派のスコア。前編同じ意タイプの曲だが、後半は寂しく感じるほどの、人生の苦しさ、生きることの大変さが映像になっている。人生は大変なのだ。ラストをどう感じるかは観客しだいだろう。拙は暗く感じたゾイ。今の拙にはちょっと寂しすぎた。
2009年10月24日
僕のピアノコンチェルト(スイス2006)
ピアノの才能をはじめ天才をもって生まれ、母からの過度の期待と周囲の特別な視線。自由人の祖父の影響から、天才を失ったふりをする。優しい父親の会社での苦境を知り、秘密裏に祖父と株取引を始め、父を社長にする。さらには、ピアノの練習も続け、母の望みであったピアニストとしてのデビューも果たす。めでたし、めでたし。
主人公があまりに天才に描かれ過ぎていて、途中から鼻につく存在になるのだが、両親たちへの優しさと、信じられない成功に打ち消される。できすぎのストーリーだが、ハッピーエンドに悪い気はしない。☆
主人公があまりに天才に描かれ過ぎていて、途中から鼻につく存在になるのだが、両親たちへの優しさと、信じられない成功に打ち消される。できすぎのストーリーだが、ハッピーエンドに悪い気はしない。☆
ブラジル・アマレロ(フル・シティ)
豆はやや小さめできれい。抽出液はやや濃いめ。甘い香りで、やや刺激的で鋭角な苦みに甘みが加わっている。酸味はほのか。のどに残るフル・ボディ。
2009年10月23日
陽暉楼(日1983)
高知。遊郭陽暉楼の芸子と女衒の話。女を売り買いする女衒の女への絶対的ないたわりと、欲望に女を翻弄する男たち。彼女たちの幸せのため男の面子で行動する女衒が結局女を不幸にする。非日常的な重厚で粘着質の世界の生々しさに打ちのめされそうになる。女同士の妖艶で激しい喧嘩のシーンでは、心拍数が上がって目をそらしたくなった。しかし、この手の映画にも耐えられるようになった自分の変化に驚いている。佐藤勝の音楽が世俗風なテーマを日本的な味付けで印象的なスコアにして、映画の雰囲気作りに貢献していた。いい仕事でした。男優把握のある人ばかりでした。小池朝男が出ていて懐かしかった。重暗くねっとりとして汗臭い映画でした。
2009年10月22日
ワーグナー:「タンホイザー」序曲(ガッティ=ロイヤル・コンサルトヘボウo)
悠々とほの暗いロマンティックな流れ、湧き上がるような感情の高まり。悠々とした足取りのオーソドックスな演奏。豊かな低音と絹のようなvn、それにシンバルや管がクリアな輪郭を持って加わり、色彩感を放ちながら堂々とした盛り上がりを築く。オーソドックスで美しい演奏でした。(約14分)(Live! at the concertgebouw)
2009年10月21日
小言念仏(三遊亭金馬3)
え〜、相変わらずのお笑いでございます。何事によらず、陰気陽気って〜ものがございますもので、御宗旨にも陰陽がございます。−−念仏をあげながら、気がついたことで片っ端から小言を言う亭主。仏壇から始まって、学校へ行く子供、朝食の汁の具まで及び、どじょうを具にすることにして、どじょうを鍋に入れ酒を加えて火にかけさせる。「ごとごといってるな。苦しがってるな。おもしろいな。南無阿弥陀部、南無阿弥陀部。静かになったな〜、蓋開けてみろよ。腹を出してみんな死んじゃった?ざま〜みやがれ。南無阿弥陀、南無阿弥陀」−−何にもなりません。小言念仏というお話でございます。
マクラは信心と宗旨の小咄あれこれ。細かいことに気がつく主人公のいらち傾向のキャラクターが、次々に繰り出す小言がおかしさを誘う。この話が十八番の当代小三治師のとぼけた判事のキャラクターとは正反対。これがまたおもしろい。一気に進めるすがすがしさがある。
マクラは信心と宗旨の小咄あれこれ。細かいことに気がつく主人公のいらち傾向のキャラクターが、次々に繰り出す小言がおかしさを誘う。この話が十八番の当代小三治師のとぼけた判事のキャラクターとは正反対。これがまたおもしろい。一気に進めるすがすがしさがある。

